2月の会~教育者のファンタジー④~
2月18日に2月の会を開催しました。
やっとこさ、章の最後の段落『「キリスト」というファンタジー』を読んでいきました。
シュタイナー教育はキリスト教ではありませんが、シュタイナーにとって「キリスト」は重要な概念です。
なぜならば、キリスト自身が様々な奇跡を起こす神を体現する存在でありながら、普通の人間として生きたからです。
そこで表現されていることは、全ての人は神と等しく価値ある存在である、ということです。
キリストは、個人という小さく有限な存在を、神という普遍的な概念と自らの身をもってつなぎ合わせる存在なのです。
十字架はそのシンボルです。(と書籍に書いてありました。)
一つ前の段落に、シュタイナーの詩として下記の詩が引用されています。
愛する神よ、
私が自らの個人的野心において
自己を消し去ることができますように。
キリストよ、私において
「私ではなく、私のなかのキリスト」ということばが
真実のものとなりますように。
そして、私のなかに、真実の教育と真実の授業をつかさどる
正しき聖霊がはたらくことができますように
私自身は小さな人間で出来ることは限られている。
こんなちっぽけな自分にそんなこと出来るだろうか、私がやる必要あるのだろうか、周囲に変だと思われないだろうか、と考えるエゴもある。
しかし、その「私」ではなく、私のなかにある「内なる思い」「内なる光」に従って今おかれている環境、降りかかってくる運命に対して働きかけようとした時、私は自分の中の神聖な力を必要とする。
その力のことをシュタイナーは「ファンタジーの力」と呼び、より具体的なイメージとしてキリストと呼んだのです。
前回読み進めた、歩く、話す、考えるという「目に見えない力」は、一人ひとりに寄り添って順番に成長していきます。
そして大人になった時、それらの力を自分の魂の声に呼応して発揮しようとした時、ファンタジーの力が必要なのです。
それをイメージで捉えた時、それはあたかもキリストのまわりに、天使、大天使、時代霊が仕えているように見えてきます。
目に見える肉体の成長と同じくらい、目に見えない力の成長は大切です。
シュタイナーが示したメディテーションやこれらの概念は、見えない力の成長と働きをリアルに感じて大切にするため方法なのです。
概念や理論そのものは、ただの「考え方」に過ぎません。
それらの考え方を消化して血肉にし、現実の場面でどう応用するか。
学んだことをいったん忘れて、とらわれのない目で子どもと向き合ったときに、こどもに対してとして具体的な「こうしてみよう」というイメージが湧いてくるか。
学んだことが無意識下まで沈むこと。
それが大切だと思います。
以下は今回参加くださったお母さんが翌日くださったコメントです。
「昨日もありがとうございました。
主宰していますが、私の方が皆さんのコメントや発言から気付かされること沢山!!!
ともに学ぶ仲間がいるというのは本当にありがたい!
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