5月の会~歩く、話す、考える
ご無沙汰でした。
先日、約ひと月ぶりの会が開かれました。
毎度思うのですが、参加されてる方々が会に対して能動的で、それにとても助けられています。
積極的ではなく能動的。
積極性はともすると相手とのバランスを崩す可能性がありますが、参加してくださっている方々が皆、人の話を聞くこと、自分の想いを話すこと、自分の中の気づきに意識を向けること、
人に関心を持ちつつ寛容さを持つこと。それらの力を充分に発揮して会が成立しています。
このような学びの場は、ともすると何かを提供する側と提供される側の
二つに分かれてしまうことがあると思うのですが、そのような能動性のおかげで会を主宰している私自身も毎回気づきをもらっていて、それは本当にありがたいことだなあと思います。
今回は書籍に戻り、入間さんの『これからのシュタイナー幼児教育』3章を
一緒に読んでいきました。
人は皆(一人ひとりの子供は)生まれながらに「自分はどう生きたいか」という内なる思いを抱いています。
そしてそれを3歳頃までに身につける「歩く(歩行)」「話す(言葉)」「考える(思考)」という能力を通して表現していきます。
この3つの力は生涯にわたって、その人間を支え続けます。
歩く力は「行為の力」。
人の行為の力、意志をもって成し遂げる力には、あかちゃんが立ち上がる時の「歩く力」が働いています。
話す力は言葉をあやつる力。
それは人間同士のコミュニケーションのはじまりであるとともに、「言葉を使って考える」(知性)の始まりでもあります。
言葉は感情と思考にまたがっています。
幼い子どもにこれらの力を理屈で教えることはできません。
子どもは周囲の大人のふるまいを全身で吸収し、模倣することでこの3つの能力を身につけていくのです。
全身が感覚器官になっている幼い子どもは、周囲のおとなたちの「目に見える行動」だけでなく、「目に見えない感情や思考」までも吸収してしまいます。
確かに私自身を振り返っても、自分がどれほど両親の影響を受けるか、しかもその考え方や感じ方までも受け継いでしまっているか実感することがあります。
だからシュタイナーは、子どもの身近な存在である大人がまず、「行為」「言葉」「考え」という3つの力と意識的に向き合うことを提案したのです。
シュタイナーは言います。
「ある人がどういう人物なのかは、どんな行為をし、どのように語り、どのように考えるか、の中に現れてくる。
だから大人は、この3つの力(歩く、話す、考える)を大切に扱うこと、そこに責任をもって向き合うことがとても大切である」と。
この3つの力は、私自身の現れです。
この3つの力を大切にすることは、私自身の内なる自己を大切にすることになります。
大人である私たちが、自分の「内なる自己」に合致した考え方をし、言葉を発し、行為をすること。それは子供に伝わると同時に、自分自身の「内なる自己」を救います。自己と一致しない言葉や想いは自分自身を傷つけます。本当は自分は何を語り、何を行いたいのか、私自身が一番分かっているはずです。
いきなり「内なる自己」を大切にと言われても分かりにくいけれど、
・自分が正しいと感じる「行為」を行いなさい。
・自分が美しいと感じる「言葉」を発しなさい。
・自分が本物と感じる「考え」をしなさい。
と言われれば、日常での自分を振り返りやすいのではないでしょうか?
シュタイナー教育は、子どもに何を教育するかよりも、常に大人自身の自己教育を促します。
子どもにこんな教育素材を与えましょう。
こんな習い事をさせましょう。
しつけをしましょう、挨拶をさせましょう。
ではなくて、大人が自分自身の内なる光に繊細な感覚を働かせ、行動、言葉、思考に意識的に向き合い、責任もつこと。
それを促します。
「意識」を働かすってとても大事です。
無意識だったところに意識の光を照らすことを今、ひとつひとつ取り組んでいると話されたお母さんがいらっしゃいました。
見たくないところほど無自覚に無意識を決め込んでいること、私はあります。
無意識に他人のせいにしてたりね。
それで娘に「ママは悪くないでしょ、八つ当たりしないで。」なんて言えないよなあ。
だから真剣に今、そのことに取り組まれているというお話を伺って私自身も、よし、意識をもっと働かせようと勇気づけられました。
完璧な人間なんていないです。
完璧な環境で子育てできている人なんていないです。
シュタイナーの言っていることはひとつの理想です。
つまり理想論です。(個人的見解ね)
でも、意識の光を照らすことは今すぐできるから、少しずつ取り組んでみよう。
その真剣に生きる姿が、いつか子供が自らの生命を輝かせる糧になると信じて。
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