6月の会~地球と人間~
5月から仕事が少し忙しくなってきて、今後は月1回のペースで会を続けていこうと考えています。
ということで今回もひと月ぶりの開催。
第4章『地球と人間』です。
入間さんの本を読みながら、地球を構成する四大元素(地・水・風・火)と人間の成長との関わりを見ていきました。
シュタイナーの人智学(アントロポゾフィー)では、出生後も人は「目に見えない母胎」のなかで育ち、しかるべきタイミングでその「目に見えない母胎」から誕生しながら成長していくと考えられています。
そのとき「目に見えない母胎」となるのが社会、つまり人間関係です。
この「母胎としての人間関係」は地球の四大元素と関連しています。
詳しくはこれから述べますが、一見、地球となんら関係ないように見える「人の成長」を、地球とのつながりのなかで理解していこうと言うのです。
まぁ、いきなり言われても分からないよね。
ひとまず見てみましょう。
~妊娠から0歳まで 地のからだ~
母親の身体そのものが母胎です。
お母さんの胎内で赤ちゃんとお母さんはへその緒でつながれ一体になっています。
地の母胎(母親の体)の中で育まれる体は、物質としての体です。
この地の体は、誕生してからずっと子供自身の体として、子供を支えていきます。
~0歳から7歳前後まで 水のからだ~
体は誕生しましたが、子どもの心は急に広い世界と対峙するわけではありません。
幼いこの時期は、自分の両親など身近な人々との人間関係が母胎であり、覆いとなります。
そこでは子供が絶対的に信頼できる人間との「一対一」の関係が基本になります。
つまり家庭や幼稚園のような、完結した守られた環境の中で、身近な人々との親密な関係に守られていることが子供の発達を支えます。
イメージは温い水です。温い水のような母胎(家庭や幼稚園)の中で育まれた体(=信頼関係)は、生涯を通じて自己を支えます。
~7歳から14歳前後まで 風のからだ~
小学校に入学し、乳歯が抜け始める頃、子どもは水のからだ(身近な人との信頼関係)を得て、次なる母胎の中で誕生を待ちます。
それが、自分が生活していてる「地域社会」です。
この時期に大切なのは、地域に尊敬できる大人がいることです。
地域社会は、家庭や幼稚園より風通しが良く、そこにはさまざまな多様性が入り込みます。
その中で尊敬できる「おとなの能力」に触れ、また多様な人々の生活や考え方に触れることで、自分の「感覚」を働かせる力、自分と世界をありのままに感じる力が育ちます。
これが「風のからだ」です。
ここで得た地域社会とのつながりは、その後の子どもの人生を支えていきます。
~14歳から21歳頃まで 火のからだ~
思春期にかかる頃、子どもは地域社会より更に広い世界の中で誕生を待ちます。
ここでは地球全体、人類全体が母胎です。
「人間は何のために生きるのか」「人間とは何か」といった個人や地域に限定されない普遍的な問いに目を向けるようになります。
自分の中の「真実」を知ろうとし、世界の真実、人類がこれまで考えたこと、取り組んできたこと、その挫折や成功を学んでいくのです。
ここで大切なのは、子どもの周囲に「真実」を求めて努力している大人の姿があることです。そのような姿を見て、子どもも自分自身の真実に目を向ける勇気をもつことができるのです。
人は、真実を知ろうと努力し、人類と自分のつながり、地球と自分のつながりを考える中で「自分は自分だ」という自覚に至ります。
地球全体へ思いを至らせることは、同時に自分自身への自覚を深めることにもなるのです。
この自分自身との出会いは、自分のなかに灯った光を熱として、「火」として感じることです。
この「火のからだ」は自己信頼として生涯、子どもを支えていきます。
このような成長をたどる子どもに寄り添っていくことが、教育の課題だとシュタイナーは考えていました。成長プロセスの中で子どもは地球に存在する四大元素の「目に見えないからだ」を獲得し、その中で自分自身の「内なる思い」を表していくことができるのです。
それがシュタイナー教育における「成年に達した」ということです。
このような人は「自己と一致した人間」であると同時に、「地球の思い」とも調和した人間であるのです。
…で、ですね。
ここまで書いてきてなんですが…
私自身もすべてを理解しているわけではないです。
感覚的に分かるところもありますが、なんで地球の構成要素と人間の成長をあてはめるのか?ぴんと来ません。
でもわからないのはわからないなー、でひとまず置いておこうと思います。
それで良いと思います。
今は「よくわからない」と感じるこの感覚に浸っておこう。
いつか「あぁ、そういうことか」と光が射す瞬間がくるだろう。
実は会を開いている時、私は一生懸命にこの成長プロセスを理解しようとしていました。
自分の頭の中で辻褄を合わせようと一生懸命に説明していたら、参加されていた方がこんな発言をされました。
「芸術に沿って学ぶ、という態度にもう少し傾けてもいいんじゃないかしら?シュタイナー教育は芸術的と言われるでしょ?こんな言葉があってね、『本当の芸術家は心がのっていようがのっていまいが毎日繰り返す。その中で自然に生まれる感情を待つ』。今はわからなくても繰り返しの中で自然に理解される時が来るかもしれない。それを待つ、ということ。日々の修練の中で見える光を待つということ。そんな態度もいいんじゃないかしら?」
私、ハッとなりました。
そうだった!
即自的に理解することを避け、じんわりじっくり浸ることを目的に会を開催していたのに!
私が一番、頭だけでわかったつもりになろうとしてたわ!!!!
ご意見くださったMさん、ありがとー!!!!
ですので、理解できないことは理解できないで良い。
ただ、こんな風に人間の成長を年齢と言葉でカテゴライズして眺めてみると、いつも超超!至近距離で見ている(どころか飲み込まれている)子育てを俯瞰して見ることが出来て良いのものです。
そして、もうひとつ思い出したのがね。
中学・高校の思春期の頃、「私はなんで生きているのか?」「自分の天命は何か?」「死とは何か」なんてことを考えた時期がありました。
当時流行った小説『ソフィーの世界』を読んで感銘を受けたり、友人と話したり、妙にニヒリズム的になって世界に対して虚無感を覚えたりしていました。
まさに、思春期真っただ中な、自己存在に対する問いだったのですが、この時期に、自分の中の「真実」に真剣に向きあっている大人が身近にいなかったなあと思いました。
代わりに、自身の弱さから目を背ける大人の心が透けて見えて(反抗期の頃って大人のそんな姿にはめっぽう敏感!)嫌気が差していました。
思うと、一番最初に出会った、自分自身と深く向き合っている大人。
それは、松山で最初に通ったヨガ教室の先生でした。私が28歳の時です。
思春期の時の消化されなかった想いがあるから、その先生に出会って更にヨガに惹かれたのか…。
書きながら今気づきました。
なるほどなー。
つながってるなー。
そこで決めたこと。
私は自己と向き合って、できる限り私自身と一致した人生を歩んでいこう。
離れることがあるかもしれない。そしたらまた戻ろう。
私は私自身の自己教育を。
それがいつか、我が子や身近な子どもの成長の力になればいいなあ。
最後に本章の冒頭にあったシュタイナーの詩。
世界の意味を実現するのは
叡智によって照らされ、
愛によって温められた
人間の行為である。
「世界」を「地球」に代えても、「私」に代えても同じことを言っているな。
0コメント