7月の会~7年周期説①~
すっかりご報告が遅くなってしまいました。
毎日バタバタとしながら千葉へ帰省したり、東京へヨガの勉強に行ったり、京都へ旅行している間に夏休みに入ってしまいました。時間が経つと会の内容やその時受け取った印象も薄れるもので、はてどんなことやったんだっけ?ともう一度読んだところを読み返す始末。いやはや、鉄は熱いうちに打てですね。
7月は、『シュタイナーコレクション1 子どもの教育』からシュタイナー教育の根幹とも言える"7年周期説”とは何かを読み解いてみようという会でした。
講師がいるわけではなく、ただの”シュタイナーに興味ある人”が集まって、本を読みながら感じて、話して、浸っているだけです。それでもシュタイナーの言葉は示唆に富んでいて、全部は理解できなくとも心に残る言葉や気づきを得ることが出来、会の主旨としてはそれで充分だと思っています。超至近距離で日々育児・家事と向き合っているからこそ、広い視野で書かれたものを読み、子どもの存在、社会、自分を俯瞰して観る(あるいは観ようとする)時間を持つことは大切です。更に言うと、自分の視座をあっちこっちに自由に行き来させるのには修練が必要で、繰り返し読んだり、会に参加することでその感覚や感性は培われていくので焦る必要などなく、マイペースに会に参加し続けることがその練習にもなっていたら良いなと思っています。
今回は、前段として子安美知子さんの本で7年周期説の概論をざっと学んだ後、『シュタイナーコレクション1』のP35「幼児の教育」からP42『生きる喜び』を読んでいきました。その中でキーワードとなるシュタイナーの言葉をいくつかおさらいしましょう。
○「模倣と手本」
幼児は物質環境の中の出来事を模倣する。そしてその模倣の中で、身体器官が特定の形態をとるまで成長すると、その形態が一生保たれる。
物質環境という言葉はできるだけ広い意味に受け取る必要がある。幼児の周囲にある物質だけでなく、幼児の感覚が知覚できるもの、物質空間から幼児の心に働きかけてくるもの、そういう周囲の一切の営みがこれにぞ属する。幼児が見ることのできる道徳的、不道徳的な行為のすべて、優れたそして愚かしい行為のすべても、これに属する。
○「生きる喜び」
身体器官を健やかに成長させる力の一つは、環境に対する、そして環境における喜びである。教育者の明朗な表情、誠実で押しつけがましくない愛情がそのような環境を形成する。物質的な環境を暖かく貫いて流れる愛情は、真の意味で健康な身体器官を産み出す。
愛情に包まれて、健全な手本を模倣することができるとき、子どもは正しい世界の中にいる。子どもに模倣させられないような事柄を子どもの環境の中に生じさせないよう努力せねばならない。「そんなことをしてはいけないよ」と子どもに言わなければならないようなことを、われわれ自身が子どもの前でしてはならない。
要は、第1七年期に大切なのは口で言うよりやってみせろ、ということですね。
お説教より我が身の言動を整え、身の回りの環境を整えなさいということですね。
で、真面目な人はこういうのを読むと「私できてない…」と自己否定に走ったり、「やっぱりこうあるべきよね!」と鼻息荒くなったり、「小難しいことに囚われずもっと自由に子育てしたら良いのに〜」と批判的になったりしますが、どれも真面目過ぎるし、それこそ囚われてるなあと思います。
これは理論で理想論でして、私たちは実践者。理論より実践が難しいことなんてどの世界も一緒で、その中で何かを学ぼうとするとき、その態度は常にラブ&ピース&リラックスが大事なのです♡
そう。対立しなーい♡
学ぶというのは継続して初めて成り立つものです。読んだその一瞬で評価判断せず、継続して見えてくるものもあります。少なくとも、子どもを教育で変えようとするよりも、自分の立ち振る舞いを変える方が簡単で、それが結果的に子どもに良い影響を与えるなら、そっちの方がずっと無理がないなあと私自身は思っています。
今回のブログはざっとまとめでごめんなさい。
8月はお休みで、次回は9月を予定しています。
ではでは。また9月にお会いしましょう♪
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